上槽(じょうそう)とはあまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、日本酒を造る段階で、発酵が終了したモロミを漉して酒と酒粕とに分ける作業のことです。
昔は出来上がったモロミを幾つもの酒袋に入れ、それを槽(ふね)と言われる木製の大きな水槽のような箱の中に入れて搾っていました。 初めはモロミを入れた酒袋を槽の中に積んで行くと、布目を通して漉された酒は槽の下に明けられた穴から滴り落ちて槽口(ふなくち)から流れ出るのです。
余談になりますが、圧力を掛けずに酒袋から流れ出る酒は特に雑味が無く香味のバランスが良いため、鑑評会などに出品する酒は酒袋を吊るして 自然に滴り落ちる酒だけを使うのだそうです。
やがて槽口から流れ出る酒が少なくなると上から軽く圧力を掛けて搾り、その後は布袋を積み直して更に圧力を掛けて搾ります。 このように何度も何度も手間と時間を掛けて加圧するのは、最初から大きな圧力を掛けたのでは布の目に酒粕が詰まり酒が漉せなくなってしまうからなのです。 こうしてゆっくりと2~3日を掛けて上槽の作業は行われるのです。
槽を使った上槽はこのようにとても手間と時間が掛かる作業ですので、一般的には大吟醸など特殊な酒を造る他は殆ど行われておらず、 今では短時間で効率よく濾過できる自動圧搾機が使われています。
この自動圧搾機はフィルタープレスとも言われ、濾過布(フィルター)の間にモロミをポンプで送り込み、圧縮空気で加圧して濾過するもので、 昭和40年代に普及し始めた機械なのですがその出現は、酒造りの現場の中でも最も過酷な作業として敬遠されていた上槽を大きく変えた画期的な出来事だったようです。
槽(ふね)
醸造タンク
今回ご紹介する「阿部酒造」では、普通酒も含めここで造る全ての酒の上槽作業をこの酒袋と槽で行っているのです。 そしてこの他の幾多の工程においても昔ながらの道具を使い、殆どの仕事を手作業で行っている酒蔵なのです。
ここ「阿部酒造」は今まで見てきた酒蔵と比べると少し様子が異なります。その第一はうまく表現ができませんが、他の酒蔵のような 重苦しさや派手さや商売っ気があまり感じられないと言うことでしょうか。 酒造りをしてきている酒蔵の多くは昔からの歴史や暖簾、それゆえの風格のようなものがあり、それはそれで素晴らしいものなのですが、 ここにはそのような余分の取り繕いや、てらいが全く無いのです。
脇目を振ること無くただひたすら、自分の旨いと信じる酒を喜んでいただけるお客様のためだけに造る、正にスローフードの思想なのだと思わずにいられません。 無理をすることなく、自然の中で上手く酒造りができる寒い時期だけに限って酒を造る。それは生産量の少ない小さな蔵だからなのかもしれませんが、 その小ささゆえに他の酒蔵では真似することのできない、味わうことのできない酒造りの妙味を維持し続けられるのではないかと思うのです。
阿部酒造の現在の当主は阿部庄一氏です。創業ははっきりとしていないそうですが明治の初めには既に酒造りを行っていたとのこと。
酒の仕込み時期でない頃に訪れた蔵は入口が閉ざされ人気が全く無い様子でした。看板も表示も無く、一升瓶を入れたプラスチック製の箱が 積まれていなければここが酒造所とは誰も気付きそうにありません。
仕込み時期以外の阿部さんの居るところは蔵からほど近い国道沿いの酒類小売のお店で、そこには勿論阿部酒造のお酒はズラリと揃っていますし、 また県内の有名な酒蔵の酒も並んでいます。ここで見る阿部さんは正に酒店のご主人という感じで、気さくで愛想が良く商売もお上手そうに見えます。 しかしいざ酒造りの話になると杜氏の真剣な顔になるのです。
そうですここ阿部酒造は代々内杜氏で、当主が杜氏を務めてきているのです。ですから親から子に直接酒造りの手法が伝えられ、 それをそのまま引き継いで毎年造り続けてきたわけですから、創業当時の酒の造りから殆ど変わっていないのです。
父でもあった先代の杜氏から教えられた通り、普通酒に使う米でさえ地元産のものを58%まで磨き、手間と時間を惜しまず掛けて、 上槽も自動圧搾機を使えばまだまだ酒を搾り取ることができるにもかかわらず槽を使い続け、経済性や生産性や効率よりも品質を重視し納得の行く酒を造り続けているのです。
現当主 阿部正一氏
「男山」の額と神棚
この蔵の特徴は何度も繰り返しますが何と言っても昔ながらの手間を掛けた手造りで酒を造っていることでしょう。普通酒でも精白率58%のこの蔵ですから、 純米酒は無く「純米吟醸酒」しかありません。またここの槽を使った上槽を生かした文字通りの「ふなしぼり生原酒」は搾りたての酒を一切手を付けずにそのまま 瓶詰めしたものなど、一度飲んでみる価値のある酒が揃っています。
蛇足ですが、ここで上槽された後に残る酒粕は、フィルタープレスで絞られた酒粕とは全く異なり、未だ酒をたっぷり含んだ豊かな香りを放つ柔らかな酒粕です。 漬物や料理に使うと膨よかな香りが美味しさを増すと、地元の漬物屋さんや家庭でとても喜ばれています。